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法政大学2023年度文学部日本文学科(2月5日実施)

法政大学2023年度文学部日本文学科(2月5日実施)の古文を見ていきます。

①家隆は四十以後、初めて作者の名を得たり。②それより前もいかほどか歌を詠みしかども、名誉せらるることは、四十以後なりしなり。③頓阿は六十以後、この道に名を得たるなり。④かやうに昔の先達も、初心から名誉はなかりしなり。⑤稽古・数寄、劫積もりて、名望ありけるなり。⑥今の時分の人、いまだ歌ならば一、二百首詠みて、やがて定家・家隆の歌を似せんと思ひ侍ること、をかしきことなり。⑦定家も「ゆかずして長途にいたることなし」と書きたり。⑧坂東・鎮西の方へは、日をへてこそいたるべきに、ただ思ひ立ち一足にいたらんとするがごとしと云々。
⑨ただ数寄の心ふかくして、昼夜の修行おこたらず、まづなびなびと口がろに詠みつけなば、自然と求めざるに興あるところへ行きつくべきなり。⑩但し後京極摂政殿は、三十七にて薨じ給ひしが、生得の上手にておはしまして、殊勝の物どもあそばしき。⑪もし八十、九十の老年までおはしましたらば、いかになほ重宝どもあそばされんずらんと申し侍りし。⑫宮内卿は二十よりうちになくなりしかば、いつのほどに稽古も修行もあるべきぞなれども、名誉ありしは生得の上手にてあるゆゑなり。⑬生得の堪能にいたりては、初発心の時、便成正覚なれば、修行を待つところにあらず。⑭しからざらん輩は、ただ不断の修行をはげまして年月を送るは、終に自得発明の期あるべきなり。⑮ただ数寄に越えたる重宝も肝要もなきなり。⑯上代にも数寄の人々は古今の大事をもゆるし、勅撰にも入れられ侍り。⑰誠の数寄だにあらば、などか発明の期なからむ。

リード文を見ると、室町時代の歌人である正徹という人物が過去の著名な歌人について述べた文章であることが記されています。

ここから、この文章のテーマは歌人もしくは和歌に関するものと推測されます。

では、文章を読んでいきましょう。

①家隆は四十以後、初めて作者の名を得たり。

家隆とあるのは人物名です。リード文から歌人であることが推測できます。

①に”初めて作者の名を得たり”とあります。
作者、という単語は現代だと小説など作品の作り手などの意味になります。

家隆は四十歳になってから初めて歌を作り始めたということでしょうか。そうではありません。

この文章だけだとピンと来ない時は、試しに次を読み進めてみます。

②それより前もいかほどか歌を詠みしかども、名誉せらるることは、四十以後なりしなり。

この文章から、家隆という人物が四十歳以後に歌人としての評価を得たことが読み取れます。このことから作者というのは単に作り手という意味ではなく、上手な作り手という意味で使われていることが読み取れます。

知識がある人なら家隆と聞いた時点で察しがつくかもしれませんが、知らない人でも問題なく読んでいくことができます。

③頓阿は六十以後、この道に名を得たるなり。

今度は頓阿という人物名が出てきます。名を得たる、という言葉の意味を①のところでざっくりつかんでいれば、ここで意味に迷うことはないです。

頓阿という人は家隆よりさらに上の年齢で名人と言われるようになったのですね。

④かやうに昔の先達も、初心から名誉はなかりしなり。

家隆と頓阿の例に見られるように、名人と言われる人も最初から名人ではなかった、ということが述べられます。

古文の文章には歌論と呼ばれるものがあります。和歌についての評論です。どんな和歌が良いかなどを筋道を立てて述べます。現代文ですと物語文より評論文に近いです。

この文章にもその側面があります。
④の文章を導くために、家隆と頓阿の例を出したのです。

⑤稽古・数寄、劫積もりて、名望ありけるなり。

数寄は好き、の意味です。

稽古をすることと歌を好むことが長年になって、評判を得られるということです。
内容としては④の主張の続きですね。

⑥今の時分の人、いまだ歌ならば一、二百首詠みて、やがて定家・家隆の歌を似せんと思ひ侍ること、をかしきことなり。


この文章で使われている「をかし」は趣がある、の意味ではなく現代の面白おかしい、の方の意味です。

なぜそう解釈できるのでしょうか。

⑤までの文章では昔の名人を例に挙げて、和歌の詠み方を上達させるには長年の修行が必要だと述べています。そのあとに対比として、最近の人々はどうか、について述べています。

昔の名人を良い例として取り上げているならば、対比のもう片方に登場する方は悪い例として取り上げていると予想されます。そのため、ここの「をかしきこと」というのはマイナスの意味であろうと推測することができます。

そのため、趣深いというプラスの意味でなく、滑稽な、というマイナスの意味を持ち得る方を採用するのです。

複数の意味を持つ言葉がある場合、前後の文章からこの単語がプラスの意味で使われているか、マイナスの意味で使われているかを推測することで、どの意味が当てはまるか決定できる場合があります。

⑦定家も「ゆかずして長途にいたることなし」と書きたり。

ここで定家という名前が登場します。もし定家が有名な歌人だと知らなかったとしても、⑥の文章で家隆と並べられている時点で和歌の名人であることが推測できます。

この文章の「ゆかずして長途にいたることなし」は設問で取り上げられています。

もしその文だけでは意味が分かりにくい時には、前後の文章から推測することも有効です。

定家「も」とありますので、定家の主張である「ゆかずして長途にいたることなし」の部分はその前の⑥の文章と主張を同じくするものと考えられます。

⑥の内容は、ちょっと和歌を詠んだくらいで名人になれると思うなんて可笑しい、というものでしたね。

きっとこれに類する主張がされていることと予想し、続きの⑧を読んでいきましょう。

⑧坂東・鎮西の方へは、日をへてこそいたるべきに、ただ思ひ立ち一足にいたらんとするがごとしと云々。

関東や九州などの遠いところに行くには日数をかけないと行くことができないのに、ちょっと歩いただけで行けると思うようなものだ、と述べている、とのことですね。

関東や九州へ行くことを名人となること、ちょっと歩くことをちょっと和歌を詠むこと、と置き換えるとここも⑥と同じ内容であることが分かります。

この推測をもとに、設問の選択肢を決めていきましょう。

⑨ただ数寄の心ふかくして、昼夜の修行おこたらず、まづなびなびと口がろに詠みつけなば、自然と求めざるに興あるところへ行きつくべきなり。

⑧までの文章では、どうしたら和歌が上達するかについて述べてきました。

テーマを変えたなら変えたことが分かる文章を入れるはずなので、引き続き⑨以降でも和歌が上達するにはどうしたらいいか、について述べられているのではないかと考えることができます。

ではその前提で文章を読んでいきます。

和歌を好きになってたくさん練習すれば、自然と趣のある和歌が読めるようになる、とのことですね。

名人になるには長年の修行がいる、という前段の主張と合致しています。

段落は変わりましたが、引き続き和歌を上手に詠むこと、がテーマになっているのは変わりないようです。

⑩但し後京極摂政殿は、三十七にて薨じ給ひしが、生得の上手にておはしまして、殊勝の物どもあそばしき。


後京極摂政殿は37歳で亡くなったが、生まれつき和歌が上手だったので良い歌を残した、と述べています。

これまで長年の修行が必要だと述べてきたのに、才能があれば関係ないということで、梯子を外された感がありますね。

⑪もし八十、九十の老年までおはしましたらば、いかになほ重宝どもあそばされんずらんと申し侍りし。

主語が明記されていないので、前の文章と同じだと推測できます。


もし37歳で亡くなった後京極摂政殿が80歳や90歳まで長生きしたらきっと名作を残しただろうと仮定の話をしています。

⑫宮内卿は二十よりうちになくなりしかば、いつのほどに稽古も修行もあるべきぞなれども、名誉ありしは生得の上手にてあるゆゑなり。

次に宮内卿という人物が出てきます。前の後京極摂政殿より短命で、練習なんてしている時間もなかっただろうに、生まれつき上手だったとのことです。

⑬生得の堪能にいたりては、初発心の時、便成正覚なれば、修行を待つところにあらず。

この文章の意味が設問で問われています。便成正覚という単語の意味が取りにくいですが、幸いここの設問は選択問題になっていますので、他の意味が取れそうなところから考えてみましょう。

発心という言葉は、仏道に入ろうという気を起こすこと、そこから転じてここでは和歌の道を志そうと思うこと、の意味として使われています。

「方丈記」の作者である鴨長明は「発心集」という題名の仏教説話集を残していますね。

⑩~⑫は修行を必要としない、生まれつき和歌が上手だった人物が話題になっています。この文章もその続きなので、「便成正覚」な人は修行を必要としない、と述べていると推測できます。

注意しておきたいのは、「便成正覚なれば」の「ば」のところです。
これは接続助詞の「ば」です。未然形接続にしろ已然形接続にしろ、前の内容とうしろの内容に意外性がない時に使用されます。こうすれば、こうなるの「ば」です。

大事なのは、「ば」の前の文章の意味が分からなかったとしても、そこには「ば」の後ろの内容を導くものが述べられていると推測できることです。

この文章では「ば」のうしろが「修行を待つところにあらず」=修行を必要としない、の意味ですから、ここまでの文章で、どういう人が修行を必要としなかったか、ということが読み解いていく時のヒントになります。

⑭しからざらん輩は、ただ不断の修行をはげまして年月を送るは、終に自得発明の期あるべきなり。


「しからざらん輩」を品詞分解します。
しから/ざら/ん/輩に分かれ、
しから・・・ラ変動詞「しかり」の未然形
ざら・・・打消しの助動詞「ず」の未然形
ん・・・婉曲の助動詞「む」の連体形
輩・・・名詞

何となくでも意味は取れますが、いざ聞かれた時にしっかり説明できるようにしておきましょう。

⑬までは生まれつき和歌の上手な歌人の話題でしたが、「しからざらん輩」、そうではない人間についての話題に変わっています。生まれつき上手ではない人間は、絶えず修行をしてこそ「自得発明」の時が訪れるということです。

「自/得/発明」と分解してみると、「自ら」「会得」し「発明」する人、と推測できます。

⑮ただ数寄に越えたる重宝も肝要もなきなり。

和歌が上達するには、好きでいることが一番だということですね。

⑯上代にも数寄の人々は古今の大事をもゆるし、勅撰にも入れられ侍り。


昔の時代にも和歌を好きであった人は、古今集の秘事口伝を受けることも許され、勅撰和歌集にもその歌が収録された、ということです。

⑰誠の数寄だにあらば、などか発明の期なからむ。


本当に好きでさえいれば、どうして和歌の道を悟るタイミングが来ないだろうか、いや、来る、ということです。

文章全体をまとめると、生まれつきの天才は置いといて、和歌の名人になるには和歌を好きでいること、たくさん練習をすることが必要ということです。

今回の文章を読解する時に重要なのは、どうすれば和歌が上手になるのか、という筆者の主題を理解することです。論説文と同じように、この例はどういうことを説明するために出している例なのか、結局筆者の言いたいことは何なのかを考えながら読み進めていきましょう。

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