明治大学2023年度文学部(2月13日実施)の古文の文章を見ていきます。
①などの記号は管理人が勝手につけた区切りのための番号です。作品は出羽弁家集です。
①七日、いつしかと待ちつけて、暮るるを心もとながる人々御簾のうちに多かるに、②つとめてより荒らましく吹きつる風を、いとさしもやと思ひつるほどに、③暮れゆくままに、まことの野分になりて、御殿油も光のどかなるべくもあらず、山もとの松に通はむ琴の音もあまり聞きわかるべくもあらず、ただひたみちに怖ろしくのみなりて、④侍ひなどいと騒がしくなりぬれば、殿より、歌詠みにて、範永、経衡などやうの人々まゐらせさせたまひ、殿上人、上達部など、やうやうまゐり集まりたまへる、皆まかでて、ただ、大夫、権の大夫をはじめたてまつりて、宮司ばかり、とまりさぶらひて、⑤山の方なりつる屋も倒れてののしる、音なき、をかしきことやあるべかりつるおぼえしてやみぬるを、⑥宣旨殿、「なほ、人々の思ひたまへらむことごとどもも、少しばかり聞かむ」など責めたまへば、⑦「まづ、さらばいかが」と聞こえしかば、おぼしけることを
⑧天の川浅くもあらばたなばたにこの音高き水を貸さばや
⑨大納言の君
秋風の涼しく今日はたなばたの重ねやすらむ天の羽衣
⑪大和
いかばかり長き契りを結びけむ空に絶えせぬたなばたの糸
⑫侍従の命婦
玉乱る上葉の露はたなばたの絶えせぬ糸に貫きとめて見む
⑬また、例の皆言ひとられたてまつりて、物もおぼえずのみぞ
底清き泉の水に映してぞ星合ひの空もことに見えける
リード文では、これが後冷泉天皇の中宮章子内親王に仕えた女房「出羽弁」の家集の一部であることが示されています。ここから「出羽弁」や中宮章子内親王が登場人物として出てくるのではないかと予想されます。
リード文は問題を解く前に必ずチェックして、書かれている情報をまとめておきましょう。
では①を見ていきましょう。
最初に「七日」と出てきます。何月かはわかりませんが、日時の情報はどこかで聞かれるかもしれませんので押さえておきます。
①の文章は、はじめに主語が来るのではなく、途中に主語が来る文章です。「暮るるを心もとながる人々」が主語ですね。
「いつしかと待ちつけて」の「て」の前後では主語が変わりにくい傾向があります。例外はありますが、この文章の場合、「人々」を「待ちつけて」の主語にあてはめても違和感がないので、それでよさそうです。
次に御簾という言葉が出てきます。御簾は貴人の姿を隠すために使われるものです。
ここまでで読み取れた情報で、御簾の内に隠れるような貴人というと、中宮章子内親王がいます。
「御簾のうち」と書かれていますから、御簾の中に章子内親王がいて、そのそばに他の女房や出羽弁もいるイメージでしょうか。その人たちが、今日何かあるかを早く早くと待っている。いったんそう仮定して読み進めていきます。
①を訳すと、”(何月か分からないが)七日、早くと待っていて日が暮れるのを待っている人々が御簾の中には多くいたが、”となります。
②を読んでいきます。
ここで注意しておきたいのは”荒らましく吹きつる風を”の”を”です。”を”は格助詞と接続助詞の二種類考えられます。
なぜその違いが重要かというと、格助詞なら”を”の前後で主語は変わらず、接続助詞なら変わる可能性が高いからです。
ここの”を”がどちらかを判断するためには先を読み進めてみます。続きは”いとさしもやと思ひつるほどに、”となっています。
ここで登場する動詞は”思ひつる”。これは他動詞ですので、前の”荒らましく吹きつる風を”を目的語と判断して問題なく意味が通りそうなので、ここの”を”を格助詞と判断します。
次に”いとさしもや”を見ていきます。この箇所は設問になっていますね。
品詞分解をすると、いと さしも や と分かれます。
現代語訳の問題が出たときには、必ず品詞分解をしましょう。この単語を訳し忘れた、ということをなくすためです。
まとめるとここの訳は”早朝から荒々しく吹いていた風を、それほどにはならないだろうと思っていたのを”となります。
次は③です。
”暮れゆくままに、まことの野分になりて、”ここで押さえておきたいのは野分という単語です。意味は台風です。
野分と言えば、思い出されるのが源氏物語の野分の日のエピソードです。
光源氏の息子である夕霧は、源氏の妻である紫の上と決して対面しないように育てられてきました。光源氏自身が父親の妻と密通したために、同じことが起きるのを避けたのでしょう。
しかし、ひどい野分が起こった翌朝、お見舞いのために源氏のところを訪れた夕霧は紫の上の姿を思いがけず見て、その美しさに心打たれます。普段なら紫の上は貴族の女性らしく姿が見えないよう気を使っていますが、台風という例外の事態が起きたためのアクシデントでしょう。
閑話休題、本文に戻っていきましょう。
”御殿油も光のどかなるべくもあらず、”。
御殿油は当時の照明です。油に火をともす形の照明ですが、その光も台風の風で落ち着かず揺れていたということですね。
”山もとの松に通はむ琴の音もあまり聞きわかるべくもあらず、ただひたみちに怖ろしくのみなりて、”ですが、”山もとの松に通はむ琴の音”というのは松風、つまり松の木に向かって吹く風の音の風流な表現です。家集を作るくらいの人なので、自然と書く文章にもこういった表現が出てくるのでしょう。松に吹く風も聞き分けることができないぐらい風が強くて、という意味となります。
意味をまとめると、”日が暮れていくと本当の台風になって、御殿油の明かりも静かであるはずもなく、山のふもとの松に吹く風もあまり聞き分けることができないで、”となります。
④は少し長いですが、設問でも取り上げられていたところなのでまとめて見ていきましょう。
”侍ひなどいと騒がしくなりぬれば、”待機所がとても騒がしくなったので、の意味です。注に載っている単語は絶対に押さえておきましょう。設問に必要だからこそ載せられているのが受験問題の注です。
”殿より、歌詠みにて、範永、経衡などやうの人々まゐらせさせたまひ、殿上人、上達部など、やうやうまゐり集まりたまへる、皆まかでて、ただ、大夫、権の大夫をはじめたてまつりて、宮司ばかり、とまりさぶらひて、”
ここでたくさんの登場人物が出てきて、それぞれがどんな行動をしたのかということが設問の趣旨となっています。
注目したいのは”宮司ばかり”という言葉です。ばかりというのは、~だけ、の意味です。宮司だけが何かをした、ということは他の人は宮司と別の行動をした。ということです。
さて、ここで改めて本文の前提に戻ると、筆者は中宮に仕える人間です。宮司は注の通りここでは中宮職、つまり中宮にお仕えすることが仕事の人間です。そういった役職の人ならば、台風という大変な事態には中宮のそばにいて災害対応をするのが自然だと考えられます。
ですから宮司はここを去らず、他の人は別の行動をするわけです。ここではつまり帰るということですね。台風が来たから 帰宅しようということです。
中宮のところで開催する歌会ですから、当時の優れた歌詠みが集まってきていたのですね。
ここの意味は、”殿から歌詠みである範永、経衡などのような人々を参上させなさって、殿上人や上達部などの人がだんだん参上して集まっていらっしゃったが、全員出て行ってただ大夫や権の大夫などをはじめとした中宮職の人々だけが(この場に)留まりまして”となります。
⑤”山の方なりつる屋も倒れてののしる、”こちらで注目したいのは”なり”です。古文ではなりの識別が頻出です。大別すると動詞、断定・存在の助動詞、伝聞推定の助動詞に分かれます。動詞は見分けやすいですが、助動詞の識別については一度ここでどういう基準で識別するか思い出してみてください。
ここでは”山の方”は場所を表す名詞なので存在となります。
”音なき、をかしきことやあるべかりつるおぼえしてやみぬるを、”
つまらない、趣深いことがあっただろうという思いがしながら(七夕の歌会が)中止になってしまったのを、という意味になります。
⑥にいきます。
”宣旨殿、「なほ、人々の思ひたまへらむことごとどもも、少しばかり聞かむ」など責めたまへば、”。
ここでは宣旨殿という名称が鍵かっこの前に来ているので、この台詞を話しているのは宣旨殿と分かります。
注目するのは”たまへ”です。宣旨殿に対して尊敬語を使っていることをチェックしておきます。尊敬語が出てきたら必ずチェックしましょう。誰の行動について書いているのかの手がかりになります。
”宣旨殿は「やはり人々がお思いになっていることたちも、少しだけは聞きましょう」などとお責めになったので”
ここで注意するのは「なほ」という単語です。「なほ」というのはやはりという意味がありますが、前に予想していたことに反することが起きて、それでもやはり、という意味になるので、想定と違っていたことが起きたということになります。ここでの想定と違っていたことというのは、もちろん野分です。台風で行事がつぶれてしまったけれども、ということですね。
宣旨殿が言っている、それぞれが思っていること、というのは、後を読めばわかりますが和歌のことです。和歌を詠む催しものなので、人によってはどんな歌を詠んだらいいか考えていたことでしょう。自分が発表する番になっても何も思いつきませんでした、では恰好がつかないですからね。
ただ単に恰好がつかないだけでなく、職業上の信用にも関わる可能性があります。
というのは、貴人の周りにいて仕える女房というのは、仕えている貴人やその子どもに和歌の詠み方を教えたり、交際のある相手に主人に代わって歌を送ったりと、和歌を詠むことそのものが業務になることがあるからです。
⑦”「まづ、さらばいかが」と聞こえしかば、おぼしけることを”。
ここでは宣旨殿の台詞に対する返答がなされています。この台詞を言っているのは誰かということが明記されていないので、筆者が言っていると考えましょう。”聞こえしかば”のところで尊敬語が使われていないこともその傍証になります。
また、接続助詞の「ば」がついていることも押さえておきましょう。「ば」の前後では主語が変わりやすいです。
次に登場する動詞を見てみると”おぼしけることを”と尊敬語になっています。
筆者は自分に対して尊敬語を使うはずがないので、ここからも主語が変わったことが読み取れます。また、特にここでは新しい人物が出てきているわけではないので、宣旨殿が主語であると推測できます。
”まずそうであれば(あなたが思っていることをおっしゃったら)どうでしょうか”と(筆者が宣旨殿に)申し上げたので、(宣旨殿が)お思いになっていることを(言った)”となります。
言い出しっぺの法則で、提案をした宣旨殿にまずは言ってみてくださいと筆者が告げたのですね。
その言葉を受けて、宣旨殿が以下の歌を詠みます。
⑧天の川浅くもあらばたなばたにこの音高き水を貸さばや
”ばや”は願望の終助詞です。未然形接続というところまで押さえておきましょう。
天の川がもし水深が浅いのならば、七夕の日にこの音が大きくなっている水を貸したいものです、となります。
このあとは中宮に仕えている女房たちが次々に和歌を詠んでいきます。
⑨大納言の君
秋風の涼しく今日はたなばたの重ねやすらむ天の羽衣
秋風が涼しいので、今日は七夕も天の羽衣を重ね着していることでしょうか、の意味です。
⑪大和
いかばかり長き契りを結びけむ空に絶えせぬたなばたの糸
どれほど長い契りを結んだのでしょうか。空に絶えることのない七夕の糸は。
雨を糸になぞらえて詠んだのでしょうか。
⑫侍従の命婦
玉乱る上葉の露はたなばたの絶えせぬ糸に貫きとめて見む
玉が散っているような葉の上に載っている露は、七夕の絶えることのない糸で貫きとめて見ましょう、の意味です。
⑬です。これまでは女房の名前が出ていましたが、ここでは記されていないので筆者の作品だと分かります。
”また、例の皆言ひとられたてまつりて、物もおぼえずのみぞ”。
”例の”は「いつものように」の意味で、押さえておきたい単語です。
”またいつものようにすべて言われてしまって、何も考えられずただ言った”とのことです。本心とも言い訳とも感じられる文章ですね。
”底清き泉の水に映してぞ星合ひの空もことに見えける”
そこが清らかな泉の水に映って、2つの星が合うという七夕の空も特別に見えるものだ、の意味です。
問題はここで終了です。
この問題を解くにあたって押さえておきたいのは、
・中宮におつきの女房という設定から文章全体の状況を読み解くこと
です。
そのためには女房や中宮とはどういう役職か、という古文常識が必要となります。
文法、単語を理解したらさらっと古文常識のテキストを読んでおくと、光景が想像しやすくなります。
コメント